津軽藩士死没者の過去帳

幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は1807(文化4)年7月から藩士100名あまりを派遣し沿岸警備にあたった。しかし越冬期間中浮腫病の蔓延によって70名あまりが死亡し、翌年故郷の津軽へ帰還した藩士はわずか17名であった。

この事件は1954(昭和29)年、警備に当った津軽藩士・斎藤勝利が書いた「松前詰合日記」が発見されたことで明らかになり、現在「津軽藩士殉難事件」として知られている。

「シャリ場所死亡人控」は1953(昭和28)年、町内にある曹洞宗禅龍寺から発見され、「松前詰合日記」の人名と照合した結果よく一致することから、この事件の直後に作成された津軽藩士死没者過去帳と判明した。

和紙二つ折り7枚とじ、戒名・俗名併記の津軽藩士70人、同松前藩士1人、同シャリ場所従事者4人、俗名のみの藤野家2人。知床博物館「交流展示室」で複製を展示。

名称津軽藩士死没者の過去帳
つがるはんししぼつしゃのかこちょう
種別有形
指定1982(昭和57)年7月1日
場所本町47-2、曹洞宗禅龍寺

参考

    • 第3回特別展図録「斜里—下町の歴史散歩—」
    • 第13回特別展図録「近世の斜里」
shizen_rekishi/bunkazai/kakocho.txt · 最終更新: 2010/04/10 17:11 by uchida
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